意志と強制

意志を持つ学習と強制による学習

こんにちは、ネスコム中野教室の山崎です。

今回は、「意志」を持った学習と「強制」による学習について記事にしてみました。

現在のあなたの学習はどちらですか?

意志を持った学習とは?

「意志」を持った学習とは、次のような”テーマ”を持った学習を指します。

  • 数学の「一次関数」の文章題に強くなりたい
  • 社会の世界地理、「アフリカ」と「オセアニア」の知識を増やしたい
  • 国語の文法、付属語の理解を深めたい

「~をしたい」や「~ができるようになる」など、目的を持った学習を言います。

目の前に多種類の刃物があるとしましょう。

そして、もう1つ規則的な直線が描かれている用紙があったとします。

あなたが多種類の刃物を一度も使った経験が無かったとして、直線に沿って紙を切ろうとしたとき、次のうちどの刃物を使いますか?

1-ハサミ

2-カッター

3-包丁

4-枝切ばさみ

5-日本刀

6-ナタ

ほとんどの解答が「1」または「2」へ集中するのではないでしょうか。ハサミやカッターの使い方を知らなくても、これまでの人生経験で”細い線に沿って切る”や”細い線を書く”、”細く分ける”などの経験をしてきているはずです。

その経験値をもとに、解答をしているのです。

実は学習も同じことが言えます。「道具の使い方を学んでから困難に立ち向かう!」のではなく、「困難に立ち向かうために道具を選ぶ。」そのためには、過去の経験値が必要になったり、道具の使い方を知らなければなりません。

意志を持った学習は、道具(解き方)をそろえることに重点を置きません。「問題を解くために必要な道具は何か」を探す学習になります。問題解決のために必要な考え方や公式、解き方やこれまで学習してきたことの利用など、(道具を得るのではなく、)経験値を得ることが意思を持った学習の基礎となります。

強制による学習ではダメなの?

漢字が覚えられない、英単語が頭に入っていかない、円の面積や円周の公式をすぐに忘れてしまう。

このような経験はありませんか?きっと、数学以外の教科でも同様のことは起こっています。単純に”忘れる脳”の働きによるものと言ってしまえば終わりですが、そうではなく、必要と思いながら何度も書いたり覚えようとしたりしても定着しない理由は何でしょう。

答えは1つです。”強制による学習”が底辺にあるからです。

人気のアイドルグループや、どうしても手に入れたい文具を想像すると公式よりも鮮明に人物の顔や名前が浮かんできませんか?文具であれば商品の色や形、値段やすでに持っている友達の顔も頭の中で想像してしまうのではないでしょうか。

強制による学習は、(大人も子どもも関係なく)学習する人の気持ちと目的にズレがあります。

気持ちは”強制”によって引き起こされる学習意欲、目的は「覚えよう」とするもの。気持ちと目的がそれぞれ同じ方向を向いていない中で学習を進めても、頭に入るものも入ってきません。入ったとしても瞬間的な記憶となり、その場では使えても数日経過すると忘れてしまいます。覚えたことが、その人にとって「気持ち」としてワクワクしないからです。

図形の公式を覚えなさい!(三角形・ひし形・長方形・台形・円・おうぎ形・・・)

理科の用語を覚えなさい! 社会の用語を覚えなさい! 国語の品詞の分類を覚えなさい! 英単語と漢字を覚えなさい!

強制的に学習を進めても、覚えられないのは当然のことです。なぜなら覚える必要性を感じないからです。テスト前や受験前であれば「覚えなければいけない」という気持ちが働き、直前にだけ覚えられることはありますが、やはり強制による学習の効果は薄く、テスト直後に忘れることが多いです。テストまでに覚えていれば問題ないと考えるかもしれませんが、次のテスト、またその次のテストの度に公式や単語を覚えることを繰り返していくと、学習から気持ちがさらに離れていき、一番遠く離れてしまうと「面倒」とか「覚えられないからやらない」という状態になってしまいます。

強制的な学習は一時的な効果や成果を生み出すことがあります。しかし、それを続けることで得られるものは意志を持った学習に比べたら圧倒的な差となることを知っておきましょう。

意志を持つとビジョンが見えてしまう

モチベーションアップ

意志を持った学習と強制による学習のどちらを勧めるかと言われたら、やはり意志を持った学習になります。

「~がしたい。」「~になりたい。」と目標を持って学習する上で、それを達成するために必要不可欠なものが”意志”だからです。

サッカーのリフティングで連続100回を目指す!を目標にした生徒さんがいたら、きっと毎日学校から帰ったら練習をすることでしょう。しかし、必ずどこかで連続回数を途絶えさせる問題が発生します。

筋力不足からくる足の疲れ、周囲の環境(明るさが不足している)、リフティングする足の箇所によって不安定になってしまうところ などです。

強制的に「100回リフティング出来るようにしなさい!」と言われたのであれば、この生徒はひたすらリフティングの練習を続けることになります。なぜなら100回達成が目標だからです。連続回数を途絶えさせる理由は無視し練習を続けるのです。

しかし、「100回リフティングが出来るようになりたい!」と思っている生徒であれば、次のようなことも考えるのではないでしょうか。

・目標の100回をクリアするためには脚力を強化する必要がありそうだ。

・帰宅後に練習しているけど、日が暮れるとボールをリフティングするポイントがズレてしまう。ポイントがズレないように練習するには、朝食前が良さそうだ

・どうも右ひざでリフティングするとボールがあっちこっちへ行ってしまい、それをカバーしようと体が大きく動いてしまう。右ひざのリフティングの上達が100回連続のポイントになりそうだ。

このように、目的や目標を達成するために、どんなことが出来るかを考える思考になります

 

意志を持った学習は自立学習の入り口

意志を持った状態で学習を始めようとすると、自然と意志の先に見えてくるものがあります。それが目標達成です。

目標達成のために意志を固めると言って良いのかもしれません。意志があって目標ができる、というよりも、目標達成のために意志を固めるという流れになるでしょう。

では、目標は高い位置にあった方が良いのか、という疑問が出てきますが、私はその必要はないと考えます。

子どものころから「将来の夢は?」「どんな大人になりたい?」「目標とする選手はいるの?」と、達成できたとしても遠い未来だったり、あくまで予定だったりと、あやふやな”目標”を立てさせられていませんでしたか?

目標はそんなに大きくなくて大丈夫です。今日、これから学習するにあたって達成したいこと、この学習を通して答えられるようになりたい問題、1週間後、1か月後、1学期、半年後、1年後、高校入学までに、大学進学までに、20歳になるまでに、のようにすぐにでも達成できる目標から、時間的な長さで言えば5年先くらいの目標で充分だと思うのです。

しかし、それはいつでも持っていたいです。勉強だけが目標達成の項目にはならないでしょう。足が速くなりたい、髪の毛を染めたい、スマホを持ちたい、車を買いたい、年を重ねていくにつれて「~したい」という欲求は多くなるのが普通です。

そのたびに、「目標を立てて意志を固める」そして「意志の上で実行し目標を達成する」を繰り返していくことで、充実した人生に繋がっていくと思うのです。

話をもとに戻しましょう。学生さんにとって、常に課題になるのが「テストの結果」です。テストは点数という評価となって内申点にも影響を与える大切なものです。テストで点数を取りたい!と目標を決めたら、その目標達成のために何をすべきかを数秒で考え、実行しましょう。その行動が正解か不正解かは関係ありません。

もし、その行動が”不正解”と考えるなら、成績の上がらない手法は選択しないはずです。あなたのこれまでの経験値を生かし、最善の選択の中で「何をしようか。」と考えているわけですから、どれを選んでも正解なのです。仮に、それが間違っていると気付くことがあれば、それもまた経験値となり、次のテスト対策時に生かされることになります。

勉強も仕事も趣味も、すべて意志あるところに成果が出る

意志と強制、これは勉強に限ったことではありません。

大人の世界(仕事)でも、趣味でも同じことが言えます。特に趣味に没頭する人たちの頭の中をイメージしてみてください。

ワクワクしかありません、なぜなら趣味だからです。趣味は意志がなければ続くことはありません。他人に「これを趣味にしなさい。」と言われて始めても同様の結果です。

趣味は時として何時間も没頭することもあるので、知識や技術がより深くなります。
知識や技術がより深くなると、同レベル以上の人たちが周りに現れます。
その人たちとの交流が生まれ、毎週末、毎日の空き時間(趣味にあてる時間)が楽しみになります。

仕事も同様です。ゾンビのように電車に揺られて職場へ向かうサラリーマンを映像や実際に見たことはありませんか?
一日の始まりがそのような状態だったら、当然職場へ行っても気持ちはワクワクしません。

胸を張ってスタスタと歩くサラリーマンも見たことがあるでしょう。その人たちはどのような気持ちで職場へ向かっているのでしょう。「会社へ行ったら〇〇をするぞ!」とか「今日は〇〇を達成させよう。」というような気持でいるのではないでしょうか。

残念なことに、ゾンビのような会社員が多いのが今の日本です。大人の姿を見て子どもは育ちます。もし、この言葉が正しいのであれば子どもに見せるべきものではありません。とは言うものの働かなくては生きていけないのも現実です。

そのような姿を変えるためにも、将来大人になる現在子どもであるあなたも、私を含めた大人たちも日常の中で目的をもって意志を固める」が必要なのです。