土台となるのが承認
こんにちは、ネスコム中野教室の山崎です。今回は、「承認」について記事にしてみました。
「承認」と「褒める」は同じような意味合いで使うことがありますが、私は区別しています。その理由も後述していこうと思います。
言葉で心が動く人は少ない、心が動くのは・・・
例えば、あなた(ネス君)がやんちゃな子で、学校の教室内でふざけていたところ、タイミング悪く教室へ入ってきた同級生とぶつかってしまい、ケガをさせてしまったとしましょう。
そこに駆け付けた先生Aと先生Bから、次の言葉を掛けられたら、あなたはどう思いますか?
先生A:「ネス君、気をつけないといけないよ、まずはあの子に謝りなさい。」
先生B:「ネス君、気をつけないといけないよ、まずはあの子に謝りなさい。」
えっ?先生Aも先生Bも同じことを言っている。と思いましたよね。そうです、先生Aも先生Bも全くおなじ言葉をあなたへ伝えています。しかし、あなたと先生Aまたは先生Bの繋がりによって聞こえ方が違ってくるということを今から説明します。
そこに信用があるか・ないか
先生Aはあなたの学級担任であり、部活の顧問でもあります。クラスではいつも頼りにされていて、学級委員長や生徒会参加への助言もしてくれました。意見を求められるときには発言をしました。その答えが正解なのかわからなかったが、先生Aは「ありがとう。」って伝えてくださいました。
部活では、剣道部に所属しているあなた。部活動がある日は熱心に指導してくださり、中2の新人戦前は部活が終わる時間ギリギリまで熱心に指導してくださいました。
しかし、あなたが部活動へ遅刻すると本気で叱り、道着に着替えさせてくれさえしない熱血先生でもあり、ちょっぴり怖い先生でもありました。
先生Bは学年主任の先生であり、学年全体の進路指導時には高校案内をしてくれたり、職場体験では、それぞれの職場へ足を運び生徒の様子を見てくださる先生でした。
また、友達がケンカをしたときは進路指導室へケンカ相手と一緒に呼び出し、仲直りさせるなどベテラン先生という印象を持っていました。
さて、ここで質問です。あなたが、ネス君だとしたら、先生Aと先生Bのどちらの言葉を受け止めやすいと思いますか?
先生Aと答える割合が多いと思いますが、それはなぜだと思いますか?
そこには、きっと”信用”という心の繋がりがあります。
先生Aは決してネス君だけを贔屓(ひいき)にしているとは思いません。しかし、ネス君は先生Aからの言葉はしっかり受け止める準備を日頃からしていると思うのです。それはなぜでしょう。
答えは「承認」の繰り返しがあるからです。
「褒める」と「承認する」の違いって?
褒めるというのは、良いことと悪いことがあったとして、人として良いことをしたり、特別に良いことがあったりした場合に、行われるものです。良いことがなければ、褒められる機会はとても少なくなります。
しかし、承認は褒めることとは異なります。
ここで、褒める と 承認 の違いを1つ例を挙げてみます。
あなたの友人が体育の授業でペンを持ってきていました。(通常、体育の授業で筆記具は必要ないはずです。)
この友人を見てあなたは次の「1」もしくは「2」のどちらを発言しますか?考えてみてください。
「1」…まじめだね!
「2」…ペン持ってきたんだね!
承認は「2」になります。承認とは、その人の行動を認めることを指します。持っているペンがカッコいいとか、友人の性格的にマジメさがあふれ出ているとか、美化する言葉は承認になりません。マジメという言葉は他人からしたら褒め言葉ですが、マジメと言われることが嫌な人もいます。つまり、美化する言葉は人によって受け止め方が反対になる危険性を持っています。
友人が必要と思い行動したこと、それに対して認める、それが承認です。
他にも承認はいくらでもあります。
宿題をすべて終えた子どもに対して → 宿題終えたんだね。
いつもより早く起きてきた子どもに対して → 早起きだね。 などです。
褒めることに対し、承認はとても数が多いことがわかります。相手のとった行動を観察することで、承認の機会が一気に増えることもわかりますね。
先生Aの言葉がなぜ受け入れられるのか
では、話を戻して、なぜ先生Aの言葉が先生Bの言葉より、ネス君にとって受け入れやすいのか。
自分のことを知らない人から、または、自分のことを知っていても関係が浅い人から、注意された場合、心の中ではきっとこう思うのではないでしょうか。
「あなた誰?」
「私の何を知っているの?」
「早く説教 終わらないかな…。」
「こういう時だけ出てくる先生って…」
このように思われてしまっているのが先生Bのような立場の人です。ネス君にとって、先生Bは”学年主任”であり、進路や職場体験で色々と話してくれた先生ではあるものの、個人的な会話が一度もなかった先生です。
先生Bから言葉を掛けられても、心に響く・届くものが感じられないのは、そこに承認が無かったからです。
先生Aはどうでしょう。日頃から、部活動の中で、または学級の中で、ネス君に対し(またはクラスメイトに対し)承認を続けている先生。部活動では、いけないことをしたり、ルールを破った時には真剣に叱ってもくれています。
つまり、先生Aに対し、ネス君は良いことも悪いことも見せている大人であり、時に承認をしてくれる大人でもあるわけです。
普段から承認をされていると、その人に対し少しずつですが心を開いたり、意見を聞こうという姿勢があらわれてきます。これは、学級担任の先生の話を聞くことと、校長先生の話を聞くことにも似ています。
校長先生の朝礼や学期末の長いお話よりも、学活で担任の先生が語ってくれた何気ない話を覚えているのではないでしょうか。
無論、生徒に対し性格を否定したり、人格を否定したり、発言を否定したりする言葉が生徒に伝われば、その生徒はきっと学級担任でさえも受け入れがたい存在になります。
承認は、滝のようにジャブジャブ注ぐことはできません。バケツにポツポツと溜めていくものです。
そのバケツも穴が空いている(承認を拒否しようとする人がいる)場合もあります。
バケツの穴は、その人の過去の出来事が大きく影響しています。
水を溜めながら、その穴を修正する必要がある人が多いので、信用される・信頼するという関係には時間がかかります。
また、バケツの水が60%や80%まで溜まっていても、その人が変わるなんてことはありません。
変われるのは、100%を超えたとき(バケツの水が溢れだしたとき)です。
100%を超えたとき、その人は人生観が一気にかわります。
親であれば承認を続けるべき
親御さんは自分の子どもが生まれたとき、生後、話せるようになるまで、いや、今であっても、何を言われても、「うんうん」って承認していますか?
なぜ、自分の子どもに承認ができなくなったのでしょう。子ども自身が「私は大丈夫!」と思えるのは、親からの承認の回数です。
バケツにたまる承認の量は、親からだけではなく、周りにいる人たちにも注げます。だから、承認する社会を実現してみましょう。
自分の子どもだけではなく、他人の子どもも社会を明るくする人たちに成長していったら、あなたの未来が明るいものになると思いませんか?
明るい日本を作るために、他人任せではなく、自分に責任を
明るい未来は、国の政治によるものだ!と他人に頼っていませんか?
考える必要はありません、早速行動してみましょう。その上に、褒めることと叱ることがあります。
普段から承認がなければ、突然に褒められても、1つの良いことで褒められても、心の中では ・・・。
普段から承認がなければ、突然に叱られたらパワハラと判断されます。
承認すること、それは褒めることよりも簡単にできるはずです。