5,127回の「もう一度」

――ジェームズ・ダイソンと「工夫する力」――
「どうして、こんなに使いにくいんだろう。」 「もっと、いい方法はないだろうか。」 身の回りのものを使っていて、そんなことを考えた経験はありませんか。 多くの人は、「そういうものだから」と、そのまま使い続けるかもしれません。しかし、ジェームズ・ダイソンという人は、そこで立ち止まりました。そして、「なぜだろう」と考え、実際にものを調べ、自分で試し、うまくいかなければ方法を変えて、また試しました。 今では、掃除機などで世界的に知られるジェームズ・ダイソンですが、最初から有名な発明家だったわけではありません。むしろ、絵やデザインを学び、船をつくり、手押し車を改良し、その経験の中から少しずつ「ものをより良くする方法」を見つけていった人です。 そして、彼の人生を語るとき、忘れてはいけない数字があります。 「5,127」 これは、サイクロン式掃除機を完成させるまでの開発でつくられた試作品の数です。では、なぜダイソンは、5,127個もの試作品をつくることになったのでしょうか。
「発明家」になる前のダイソン
ジェームズ・ダイソンは、1947年、イギリスのノーフォークで生まれました。父親のアレックは学校で古典を教えていましたが、ダイソンが9歳のとき、がんで亡くなります。 その後もダイソンは学校で学び続けました。通っていたグレシャムズ・スクールから奨学金を受け、勉強を続けることができたのです。 学校を卒業したダイソンは、ロンドンのバイアム・ショー・スクール・オブ・ドローイング・アンド・ペインティングで美術を学び、その後、ロイヤル・カレッジ・オブ・アートへ進みました。 ここで意外な事実があります。ダイソンは、最初から「将来は発明家になろう」と考えていたわけではありません。本人によれば、学校では医師や芸術家になることも考えていました。そして、実際に美術を学んだ後、デザインを学ぶ中で、少しずつ「ものがどのように動くのか」ということに興味を持つようになったのです。 つまり、ダイソンの人生は、最初から一本の道が決まっていたわけではありません。絵、デザイン、機械、工学。いろいろなものに触れながら、自分が興味を持てる分野を見つけていきました。
「やったことがない」からこそ、やってみる
ロイヤル・カレッジ・オブ・アートで学んでいたころ、ダイソンは高速船「シートラック」の設計に関わりました。船について、最初から専門的な知識があったわけではありません。それでも新しい分野に飛び込み、設計やものづくりに取り組みました。 卒業後はロートークという会社で働き、シートラックの開発にも携わります。さらに、その後は自分自身で新しい製品をつくることに挑戦していきました。 このころから、ダイソンのものづくりには一つの特徴が見えてきます。それは、「今までこうだったから、これからもこうでなければならない」と簡単に決めつけないことです。
「車輪がなくてもいいのでは?」
その考え方が表れた代表的な製品が、ボールバローです。 当時の手押し車には、普通の車輪が使われていました。しかし、細い車輪は柔らかい地面に沈みやすく、使いにくいことがあります。 そこでダイソンは考えました。「そもそも、手押し車だからといって、普通の車輪でなければならないのだろうか?」 そして、車輪の代わりに大きな空気入りのボールを使うことを思いつきます。大きなボールなら地面にかかる力を広い範囲に分散でき、柔らかい地面でも沈みにくくなります。こうして生まれたのがボールバローでした。 これは単に「手押し車を少し改良した」というだけではありません。「当たり前だと思っている部分を、そもそも疑ってみる」という発想から生まれた製品だったのです。この考え方が、後にダイソンの代表的な発明につながっていきます。
「どうして掃除機は吸わなくなるのか?」
1978年、ダイソンは家庭で使っていた掃除機に不満を感じました。使っているうちに、吸い込む力が弱くなっていったのです。 そこでダイソンは、掃除機を調べました。すると、紙袋にはまだ大量のゴミが入っているわけではないのに、掃除機の性能が落ちていました。原因は、細かなほこりが紙袋の中にたまり、空気が通りにくくなっていたことでした。 そこでダイソンは、「ゴミを紙袋にためるという仕組みそのものを変えられないだろうか」と考えます。このとき、以前から知っていた「サイクロン」という技術を思い出しました。
製材所で見つけた「別の方法」
ダイソンがボールバローを製造していたころ、工場では塗装に使う粉末が空気中に飛び散るという問題がありました。その解決方法を探している中で、ダイソンは近くの製材所で使われていたサイクロン式の集じん装置に注目します。 サイクロンは、空気を回転させることで遠心力を利用し、空気と細かな粉じんを分離する仕組みです。「この仕組みを掃除機に使えるのではないか?」そう考えたダイソンは、自宅で試作品をつくりました。 段ボールなどを使って簡単なサイクロンをつくり、掃除機の紙袋の代わりに取り付けてみたのです。すると、実際にゴミと空気を分けることができました。 しかし、ここで完成ではありません。「動いた」のと、「家庭で使える製品になる」のとは、まったく違うからです。
5,127個の試作品
そこからダイソンの長い開発が始まりました。 吸引力を高めるにはどうすればいいのか。細かなゴミまで分離するにはどうすればいいのか。形をどうすればいいのか。部品をどうすればいいのか。一つずつ問題を見つけ、そのたびに設計を変え、試作品をつくり、テストしました。 そして、開発の過程でつくられた試作品は、5,127個に達しました。ダイソンの公式資料では、この開発にはおよそ4~5年がかかったと説明されています。 ここで大切なのは、「5,127回失敗したのに、あきらめなかった」ということだけではありません。もっと大切なのは、「うまくいかなかった結果を見て、次の方法を変えていった」ということです。 もし、同じものを5,127回つくっていたら、結果は変わらなかったでしょう。ダイソンは、「ここがうまくいかなかった」という結果を見て、「では、次は何を変えてみよう?」と考えました。 だから、5,127個の試作品は、5,127回の「やり直し」ではありません。5,127回の「工夫」だったのです。
発明しても、すぐには認められなかった
しかし、ここからも簡単ではありませんでした。新しい掃除機の仕組みができても、大手メーカーはすぐには採用してくれませんでした。 当時は、紙袋を使う掃除機が一般的でした。交換用の掃除機バッグには大きな市場があり、新しい方式に切り替えることは、メーカーにとっても大きな判断だったのです。ダイソンによれば、彼のサイクロン式掃除機の設計は大手掃除機メーカーに採用されませんでした。そこでダイソンは、自分で製品を世の中に届ける道を探すことになります。 そして1986年、ダイソンのサイクロン技術を使った掃除機が、ライセンス契約によって日本で「G-Force」として製品化されました。 ここは重要なところです。G-Forceは、ダイソン自身のブランドで発売された最初の掃除機ではありません。ダイソンの技術が、まず日本で製品として認められたのです。その後、ダイソンは自分自身の会社を成長させ、さらに掃除機を改良していきました。
1993年、DC01が生まれる
そして1993年。ダイソンブランドとして最初の量産掃除機、DC01が発売されました。DC01は、従来の掃除機とは大きく違っていました。紙袋ではなく、透明なダストカップを使いました。しかも、ダストカップの中にたまったゴミが見えます。 一見すると、「ゴミが見えるなんて、嫌なのでは?」と思うかもしれません。ところがダイソンは、あえて透明にしました。「掃除機がどのように働いているのか」を目で確認できるようにしたのです。 これは、単に見た目を変えたのではありません。「掃除機とは、こういうもの」という常識そのものを変えようとした製品でした。DC01はイギリスで支持を集め、発売から18か月ほどでイギリスのベストセラー掃除機になったと、ダイソンは説明しています。長い時間をかけて続けてきた工夫が、ようやく多くの人に届いたのです。

成功したあとにも「うまくいかない」はある
ここで、ダイソンの物語を「失敗を繰り返したけれど、最後には全部成功した話」にしてはいけません。実際には、成功しなかった製品もあります。 2000年には、二つのドラムを反対方向に回転させる「コントラローテーター」という洗濯機を発表しました。技術的には新しい挑戦でしたが、製造コストなどの問題があり、商業的には成功せず、生産は終了しました。さらに、電気自動車の開発にも挑戦しました。大きな資金を投じて開発を進めましたが、2019年、商業的に成立させることが難しいと判断し、計画を中止しました。 つまり、ダイソンほど成功した人でも、すべての挑戦が成功するわけではありません。だからこそ、この物語から学べることがあります。 成功することだけが、挑戦することの価値ではない。うまくいかなかったとき、
- 「何が問題だったのだろう?」
- 「別の方法はないだろうか?」
- 「このまま続けるべきだろうか?」
と考えることにも、大きな意味があるのです。
「できない」ではなく、「何を変えてみよう?」
ダイソンの人生を振り返ると、何度も同じような問いが登場します。 「もっと良い方法はないだろうか?」 手押し車の車輪をボールに変えたときもそうでした。掃除機の紙袋をなくそうとしたときもそうでした。試作品がうまく動かなかったときもそうでした。そして、思ったような結果が出なかったときにも、「では、何を変えてみよう?」と考えたのです。 これは、みなさんの勉強にもつながります。テストで思ったような点数が取れなかったとき、「自分は勉強ができない」と決めつける必要はありません。
- もしかしたら、勉強する時間帯が合っていないのかもしれません。
- 覚え方が自分に合っていないのかもしれません。
- 問題を解く順番を変えたら、うまくいくかもしれません。
- 先生や友達に質問することで、分からなかったことが分かるかもしれません。
大切なのは、「できない」で終わらせないこと。そして、「では、何を変えてみよう?」と考えることです。
今日からできる「小さな発明」
発明というと、特別な才能を持った人だけができるものだと思うかもしれません。でも、ダイソンの物語を見ていると、発明の始まりは意外と身近なところにあります。 「困ったな。」「どうしてこうなるんだろう?」「もっと良くできないかな?」そんな小さな疑問です。 みなさんも、学校や家で使っているものを一つ思い浮かべてみてください。「ここが使いにくいな。」「ここがもっとこうなったらいいのに。」そんなところはありませんか。 もし見つかったら、「どうしたら、もっと良くできるだろう?」と考えてみてください。すぐに答えが出なくても構いません。大切なのは、今まで「当たり前」だと思っていたものを、少し違う角度から見てみることです。もしかすると、そこから新しいアイデアが生まれるかもしれません。
5,127回の「もう一度」の先に
ジェームズ・ダイソンは、最初から正しい答えを知っていたわけではありません。一つ試して、うまくいかなかった。だから、考えた。考えて、変えた。また試した。それでもうまくいかなかった。だから、もう一度変えた。その繰り返しが、5,127個の試作品につながりました。 そして、その後もすべてが成功したわけではありません。それでも、ダイソンは「もっと良い方法はないか」と考え続けました。 ここに、みなさんが学べる大切なことがあります。失敗しない人になる必要はありません。最初から正しい答えを見つける必要もありません。大切なのは、「うまくいかなかった。では、次は何を変えてみよう?」と考えられることです。
- ライト兄弟は、失敗からデータを集めました。
- 本田宗一郎は、失敗から工夫を重ねました。
- 山中伸弥は、「できない」を「まだできない」と考え、別の道を探しました。
- そしてジェームズ・ダイソンは、「もっと良い方法はない?」と、当たり前そのものを疑いました。
みなさんの前にも、これからたくさんの「うまくいかないこと」が現れるでしょう。そのとき、すぐに「自分には無理だ」と決めつけないでください。一度立ち止まって、「なぜだろう?」と考えてみてください。そして、「次は、何を変えてみよう?」と考えてみてください。 その小さな「もう一度の工夫」が、今はまだ見えていない、自分だけの可能性を広げるきっかけになるかもしれません。 未来は、最初から一つに決まっているわけではありません。「もっと良くできないかな?」と考えること。「もう一度やってみよう」と動くこと。そして、「次は、ここを変えてみよう」と工夫すること。その一つ一つの積み重ねが、まだ見えていない未来への扉を開くきっかけになるかもしれません。
さて、次に「もう一度」を試すのは、誰でしょうか。
